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バカと無知について

雑記

好きな作家の一人の「橘玲」さん(たちばな・あきら)

恥ずかしながら数年前まで知らなかった作家さん。バンコクの友人宅に居候しているときに彼の本棚からおすすめだと聞いて一気読みした本がデビュー作となる「マネーロンダリング」。

詳細は省くけど、当時ちょうど自分たち世代より少し先輩のお金持ちが、今よりは海外口座が作りやすい国へ資産を移して脱税なり節税なりを目的に資金を意図的に隠す手法を、会計的・税制的な手続きや海外口座開設の経緯を事細かく描写しつつ、引き込まれるサスペンス小説に落とし込んでいく名作。今で言う「キャピタルフライト」(というより普通に脱税かな?)の走りをテーマにした物語り。

こんな細かい情報を専門書でなく小説に綺麗にはめ込んだ作品は珍しくまさに「天才」が書いた作品だと思った。

彼は作家でありベストセラーである「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」などのHowto系も多く執筆する。(これは個人的にイマイチだったけど)

その中でいつもは図書館を利用するんだけど、まだ最寄りの図書館には納入されてなかった「バカと無知」がハマったのでご紹介

バカは自己評価が高すぎる

どこかの外国の偉い教授らしい二人、ダニングとクルーガーって人達が行った実験によって「楽観主義バイアス」が個人の能力によってどのように変わるかを調べたらしい。

数学や国語力を含む論理的推論能力では、下位4分の1の学生は、実際の平均スコアが12点だったにもかかわらず、自分たちの能力は68点だと思っていた。一方、上位4分の1の学生は、実際の平均スコアが86点にもかかわらず、自分たちの能力は74点しかないと思っていたのだ。能力の低い学生が自分を470%(5倍以上)過大評価しているのに対し、能力の高い学生は14%過小評価していた。その結果、テストの成績では12点と86点という大きな差があるにもかかわらず、下位と上位の学生たちの自己評価は68点と74点でほとんど同じになってしまったのだ。

なんだか「バカ」って一言で表現しても非常に抽象的で個人の主観が大きすぎるけど、こういうデータがあると、能力が低いことを数値で表しただけでなく自己評価が高すぎるのもバカの特徴であると残酷に且つ的確に表現されている。

個人的経験上、傾向的に男性に多いと思う。特に若い女性は「天然」だねと武器にすらなっている場合があるし、ここでいう「天然」はそれほど自己評価は高くない。

こういう場で言うことではないけど、自分の父親が年金も一切払わず老後を前に破綻したにも関わらずテレビのコメンテーターを観て「こいつらは皆バカだ」と言っていたのを思い出した。(今では笑い話だけど)

群れで生きなければ行けなかった時代の自然発生的な平均集約

本書云わく、弱くて馬鹿な人間は「役立たず」と思われると集団から追い出されるので自分を大きく見せるらしい。逆に優秀な人間は「嫉妬や妬み」を買わないために自分を過小に演じるのだとか。

脳ある鷹や実った稲穂的な感じですね。これも論理的に分かりやすく凄く腑に落ちる。若者が偽物のブランド品で身を包んだり、週末しか乗らないのに見栄でフルローンの身の丈に合わない高級車を乗るとかもそれに当たるのかも知れません。

自分に当てはめて見ると、お金などに縛られずに隠遁生活を望むリタイア民と表しながらブログなどでビーチや食ったものとかをアップするのも似たようなものかも知れません。矛盾した自己顕示欲なんでしょう。

優秀に損失を感じ劣等に報酬を感じる気持ち

集団生活を長らく続けてきた人間にとって、秀でた同性は自分にとって損失を与えかねない。くそイケメンが同じ集団にいると女性を独占しかねない。イケメンが減れば自分にも回ってくる確率が上がる。同時にブサメンが多ければ自分が独占できるかも知れない。経済力然り。わかりやすい理論だ。

自分が若者と話すときによく言うんだけど「他人と比べすぎない方が幸せになれると思う」ってフレーズ。例えば背が低いとか親が貧乏とかどうしようもない事においてずっとコンプレックスを感じてるとする。その人はその分、バネにして他で頑張ろうとするかも知れないけど、一生背の高い人を見るたびに嫌な気持ちになる。不幸すぎる。死ぬまで解決しない問題だ。(骨延長手術とかは無視します)

もしあなたが本書で言うバカでなければ、周りのバカの噂話や悪口を気にして生きていくってのも同じく不幸が続くことになる。やはり憲法で定められている健康で文化的な生活以上の価値観を周りと合わせる必要はないと思う。たとえ同じ日本人であってもしきたりや文化も強要されることはない。ましてや親の信仰もね。

バカは自分がバカとは気がつかない

本文で一番好きなテーマで同感した。そりゃバカだからそうでしょうと誰もが共感するだろうが裏を返せば筆者自身もそれに気づいてない可能性もあるということだ。(ここでの筆者は橘玲氏とビーチライフ両方を指す)

どこを基準に置くかが曖昧で世界の誰かから見れば作家も自分もバカのカテゴリーに入り、逆もまた然りだろう。しかし、その疑問にも見事に答えている(ちょっぴりごまかしているようにも思えるけど)

バカと無知は違う

無知は自分が無知であることを知っているので、調べたり聞いたりして成長していく。なんで?どうして?と繰り返す子供なんかがそれに当たるんだろう。

バカとは自分が無知とはいつまでも気が付かないから、一向に学ばないので成長しないと定義している。逆に老害と呼ばれる人に多い気もしますね。

それゆえに本書では「バカにつける薬はない」とバッサリと切って落としている

向精神薬の「リタリン」があえて言えばその薬らしいんだけど、昔ボリボリ噛じってた同級生の友人がいました。今も元気かな?

日本人の3分の1は文章が読めない

ちょっと乱暴な気がするこのフレーズだけど、自分の周りを見回してみると「本を読まない」人がとても多い。同時にyou tubeなどの動画は毎日鑑賞する。そして最近はTikTokのような短時間の動画でないと10分以上の長編動画はダメなんて人も。映画や動画も倍速で再生する時代にゆっくりと本など読めないんだろう。そして自ずと読解能力が退化して長文を読めないというより、ちゃんと理解できなくなる。これはバカってより、そういう時代だからという気もする。

自分も長らくまともにペンで文字を書いていない。たまにホテルのレセプションやゴルフ場の受付で署名すると自分の名前なのに字が汚くなったことに辟易する。ましてや単語や他の名前の漢字など全く出てこない(漢検2級なのに)もし大喜利大会にでたら、ほぼ全部ひらがなになる。バカである。

孤独と民主主義とバカ

すごくゲームの上手い人(優秀)と下手な人(バカ)がチームを組むとパフォーマンスが落ちるのは当たり前。日本VSクロアチア戦に一人でも素人が入ったらボコボコにされてたのと同じ。それと一緒で優秀な人はバカとつるむと生産性が下がることを分かっているのでバカとは距離を置く。まぁ理にかなっている。昔はそれでも集団にしがみつかないと生きていけなかったけど今では優劣関係なしにネットの発達もあり個人でもなんとかなる時代だから、良い意味でも悪い意味でも孤独な人が多いんだろう。常に一人旅生活の自分なんかが最たるものだろう。

そういえば昔、先輩知人が「バカは感染る」って名言っぽく、したり顔で言ってたことを思い出した。その後左遷されて音沙汰ないけど、彼も元気かな?

だから、民主主義はうまく働かないと筆者は言う。優秀な人間と平凡な人間とバカな人間が皆で自分の主張を通そうと話し合うんだから上手くいく訳がないと・・生まれてからこれまで自由民主主義を最高と学び、盲信してきた世代にはキツイ一言である。お隣の共産党国家が世界を経済的にも軍事的にも牛耳った頃に気がついても遅いのかも

まとめ

歯に衣着せぬという言葉がしっくり来る作品でした。世の中の人の殆どが自分は「バカ」であるとは思ってないと思うし、本気で思ってたら精神がおかしくなる人のほうが多いんじゃないだろうか?

他に追求されて自認すると「無敵の人」になりかねない。

例えバカであったとしても、切り捨てずに助け合って生きてきたからこそ今の文明があるって習ったんだけど(例えばバカの中に突然変異で放射線に耐性があるとか、ラスアスのエリーみたいにゾンビに感染しないとか)今は必要ないけど、そんな人にも時代が違えばすごい能力があるとかね。

辛辣な言葉でバカを切り捨てる本書はバカに猛省を促すってより「自分はバカじゃない」って思い込んでいる凡人が胸のすく気持ちになれる内容になってるのかな?

そこらへんは筆者の狙いと読者の受け取り方しだいなので言及は避けます。

でも面白かったです。やっぱり好きな作家さんだと再認識。

バカと無知―人間、この不都合な生きもの―(新潮新書) 言ってはいけない【橘玲】のご紹介と感想でした。

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