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【海外沈没生活】自分なりの「人生の幸せについて」考えてみる。

雑記

当ブログは旅のお得情報を体験談中心として概ね事務的な構成で発信していくように心がけている。

何故ならその時々の自分の心境や経済状況を語るのが苦手だからだ。

(プロフィールの指針に反しているが訳は後述します)

 

その理由は、ひとえに「コロコロ考えが変わるから」である。

別にアジアの辺境で一人淋しく怠惰な生活を送っているオヤジ一人の考えが弱小ブログ上でコロコロ変わろうが誰も気にしないであろうことは承知。

 

自分のほろ酔いで(これは自分の匙加減次第だけど)書いたブログを見返して「あの時は楽しかったな~」とか「恥ずかしい文章書いたな~」とかを更に酒の肴にするのが好きなのだけど、その時に「なんて上目線で偉そうなことを言っていたんだろう」とか「完全にコロコロ変わる主観が先行してとりとめもない情報を発信してしまっている」って、素面に戻って自己嫌悪に陥るのを避けたいというのも一因。

酔ってないときに冷静書けばいいって話なんだけど、個人的に酔ってないときの話や文章なんて話していても書いててもつまらない。(素面で女の子口説ける人とかカラオケ歌う人が本当にすごいと思う)

 

これだけ読むとガチアル中かよって思うけど、まぁ多少自覚はあります・・

 

かのアッテンボロー提督に言わせれば「伊達や酔狂で革命戦争をやる」人達もいるくらいだから大丈夫。

 

なので、面白い文章ってよりは必ず体験談をもとに少しでも役に立つ事実を書くように努めている。

ただ単に、地雷踏んでネット上でディスられたくないっていう小心者ってのもあるけど。

 

もう一つの理由はそういう事務的な情報系の他のブログにいつも自分自身が助けられているからである。

初めての国やその土地に足を踏み入れるときは必ずネットでリサーチを掛ける。

 

これまで、先人の海外ブロガーさんの情報でどれだけ助けられたことか。

少しでもそれに倣ってとの思いで始めたブログである。

 

しかしながら、情報系のガチ海外ブロガーの人たちの情報量はとてつもない。

正直、このブログで書いてある情報など他のサイトでもっと詳しく調べることができる。到底及ばない。

つまり、ブログ自体がどっちつかずの「のっぺり」とした連載になりがち。

どうしたものか。

 

そんな折、ブログの読者の反応を見ると思いのほか若干「酔狂交じり」のエントリの方が反響が良いってことをツイッターやコメントなどでメッセージをくれる方々の反応をみて理解した。

 

そうだな。

たまには、目先を変えて500日近く海外放浪旅を続けてきた自分が格安のリゾートホテル内のレストランで「レッドホース」という悪魔のようなビールでマヒした脳の勢いを借りて「幸せとはなにか」という大仰なテーマを著名人の名言を借りながら考えてみたいと思う。

決して「ポン酢しょうゆのある家」の話ではないことは記しておく。

 

「海外放浪生活」を体験して、自分にとっての幸せとは

突然だがセネカの「人生の短さについて」という、それはそれは古の哲学者の本の話をする。

ストア派哲学者のルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃~65年)による作品だ。

紀元前ってもう想像もできない位ほど昔の事。日本で言えば邪馬台国より以前の著書。

 

セネカは言う

大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう、というのである。

要するに人生の準備が概ね整った頃には人生はすでに終わりかけているって話。

老後の2000万の為に(なぜか金融審議会発表から撤回された様だけど)人生の一番充実した年代をその為だけに当て、苦労してやっとたどり着いた時には人生のほとんどが終わってるってこと。

 

この本は更に興味深い含蓄が続くのだが、もうこの一文で稲妻のように心打たれた若かりし頃。

 

その後の人生の指針を決めるきっかけとなった著書といっても過言ではない。

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上記の関連記事に感銘を受けたずっと前の事です。

 

それもブックオフで100円で買った本でだ。

これもまた自分っぽい。

 

そしてセネカはこう続ける。

時間の使い方を間違わなければ人生は長い

 

自分の為に「今」という時間を使い、思い出した(思い出せる)充実した過去に厚みを持たせれば人生は何倍も楽しく長く生きることができると(自分解読)

(まぁ、実はセネカは細かいことに気を取られて多忙に過ごすよりもより偉大な仕事を頑張れよって言ってるんだけど、それは読み飛ばして都合の良いように「仕事」を「趣味や遊び」に置き換えて解釈します)

本の解釈など所詮読み手の自由なので。

 

この本は人に貸して、無くされてもう一度kindleで買おうと思ったら1000円位したので、買うのを未だに躊躇しているほどの愛読書だ。

 

人生を40年以上も生きていると、日々の生活や友人、家族、仕事など色んな影響があって今の自分が形成されているのだけど、このセネカっておっさんは紀元前生まれ。卑弥呼よりも年上なのに良いことを言う偉い人だ。

完全に共感し、影響された。

 

そして、2000年という悠久の時を経てこのセネカというおっさんのお陰で「今」この現在を全力で楽しんでいるビーチライフというおっさんが出来上がった訳である。

人って信じたいことだけを信じる傾向にあるっていうけど、まさに言いえて妙。一部だけを都合の良いように解釈する自分。

 

もしかしたら、どこかのタイミングで家族を持ち、休日は関東郊外のアパートで娘の自由研究を手伝っている奥さんを眺めなが皿を洗った後、燃えないゴミの分別をしている自分の人生があり、平日は2時間かけて終電で家に帰り娘の寝顔を見るのが至高。

それが幸せだったかもしれない。たまに家族連れが羨ましく感じるときもある。隣の芝生理論である。(自分はバツイチなんで可能性はあったよね。きっと・・)

 

しかしながら、数々の選択肢の中、セネカのおっさんのお陰でやはり「有限である今という時間」を大切に過ごしてきた過去にはそれなりに自信と満足がある。

それが、幸せだなと感じる。

 

「幸せの尺度なんて人それぞれだ!」なんて当たり前の野暮な意見は今回は無視します。

 

これは何かで見た他人の受け売りなんだけど、お金をたくさん持っている人は「尊敬」されることが多いけど、時間をたくさん持っている人は「暇人」って軽蔑されることが多いことが疑問って金言を記憶している。(出典なんだったっけな?誰かのTwitterかな)

 

まさにその通りだと思う。

 

お金は頑張れば増やすことができる。墓には持っていけないが努力次第である程度増やして、愛する家族がいれば残すこともできるし、何なら未来の子供たちに寄付することも可能。

でも、自分の人生の時間は有限。増やすことは出来ない。(健康寿命を増やすとかはまた別の話ね)

 

当り前のことだが、ちゃんと理解するのは意外に難しい。

 

「お金とは自由が物質化したものである」

これもどっかの偉い人が言った言葉。(結構、本とか読んで言葉は覚えてるんだけど、誰が言ったのか覚えてない)

お金=自由と捉えることもできるが、あくまで「お金」は「自由」を手に入れるための手段であって、それが目的と勘違いしてはいけないと解釈している

では、自由とはなにかというテーマは長くなりすぎるので今回は割愛。

 

 

今は、この意味を自分なりに理解して時間というものを大切に日々を暮らすようにしている。

その自らの表現の一つが「海外沈没生活」である。

 

毎日ダラダラと怠惰に過ごしてはいるのだけれど、少なくとも自分のやりたいように時間を使い、よく知らない役員さん・クライアントや会ったこともない株主・資本家の為にかけがえのない大切な時間を削ることは殆どない。

特に体が動くあいだに(バックパックを担いで10時間ローカルバスに揺られることができる体力のある有限な時間のあいだに)その時間を自己実現に使う。

 

もちろん、生活の全てが100点とはいかないげれど、その生活ができている「今」を毎日ありがたく思っている。

 

 

老子の「足るを知る」って言葉も好きな言葉の一つ。

自分がいかに満たされて恵まれていることをすでに知っている人は本当の意味で富める人間だと(自分解釈)

この「足るを知る」って言葉は海外で貧困地域の子供たちを目の当たりにすると、良い意味でも悪い意味でも感慨深い。

物が無く、あばら家暮らしでも目が生き生きしている子供もいれば、十分な物質的豊かさに恵まれながら死んだ魚の目をして塾通いしている子供もいるように。

 

ホリエモンが「お金で手に入れることのできる【所有】(車とか時計とか)はそれができることを証明しているだけであって、決して幸せの証明にはならない」とも著書で語っている。

 

もっと極端に言うとこれかな。

「生きてるだけで丸儲け」 明石家さんま

これまでの格言をすべて要約できますね。やはり幸せの尺度とは決して「醤油ポン酢」ではない。(伏線回収っと)

※若い人は無視してください。

 

自分の考える「幸せとは」が「セネカ」⇒「老子」⇒「さんま」でほぼ完璧に説明できます。(すべて引用、人頼みだけど)

まとめ

そして「幸せなんて人それぞれ」なんて意見は無視しますと先ほど言っておきながら、すでにまとめで「まぁ100人いれば100通りの幸せがあるから・・・」と、書こうとしてしまっている。

やっぱりこの短時間で前言を後述で覆している。これがコロコロ変わる例のやつです。

だからとりとめがなくなる。

 

それでも、やはり有限でかけがえのない「今」と「時間」を一番大切に考えて自己実現を優先する。(している時)が自分の考える「幸せ」の定義です。

そんな「幸せな時間」をできるだけ他に(人やお金に必要以上に)縛られない「海外沈没生活」を通じて探求していきたいと思う。

 

まぁそれでも100人いたら・・・あっやめとこ。

 

さてさて、みなさんはどのように考えますか?

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