このブログのテーマとは全く関係ないのだが、今朝パタヤのホテルで午前9時位に目が覚めた。(日本時間では11時)
何気なくスマホをチェックすると普段連絡のない知人などから複数のラインやメールが届いている。
どうやら地元で地震があったようだ。
自分は阪神淡路も東日本の大震災も近隣にいたので両方体験している。(震源のど真ん中ではないので被害は限定的だが)
※記事の最後に写真掲載
阪神淡路の時は外出しており、取り合えず動いている電車に飛び乗って自宅へ向かうが途中ですべて交通機関がストップして途方に暮れて歩いてると、自衛隊のトラックに保護してもらい三田市の役所まで搬送され、毛布とビスケットをもらいパイプ椅子を並べて一夜を明かしたことがある。
18歳の頃である。直接の友人や家族にけが人はいなかったが、神戸の学校へ通っている地元の仲間もいて顔見知りも被害にあった。
東日本大震災の時は東京で飲食商売をしており、お客さんの予約がすべてキャンセルとなり、その後の津波や原発の余波で店を閉めた経験もある。
その時は家の中もめちゃくちゃになり、一瞬死を覚悟した記憶がある。この時は100秒ほどの揺れだったらしいのだが100秒が永遠に感じられた。
今回に地震は、大阪府の高槻市・茨木市だ。
まさに、いま弟夫妻が高槻に、両親が茨木市に住んでいる。
今時はネットが普及しているので幸いにもすぐに家族や兄弟、友人と連絡が取れた。怪我などはなかったようで事なきを得た。
家の中は皆、本や食器で散乱してしまい、後片付けに追われているとのこと。
海外にいるのですぐにネットで情報を収集。ニュースなどを見ていると、
2つの大震災を経験した記憶が一気に蘇り、なんとも言えない胸の苦しみを感じる。
本当に人間の力の無力感を、天災を前にすると感じざるを得ない。忘れてしまっていた気持ちを突然引きずり出され、日々の準備の大切さを思い出し再認識する。
すでに死者も出ているとの報道もある。
多くの人命が一瞬で不条理に奪われる天災。実際にご家族などが最悪の被害にあわれた方の心中を察するには余りある。
それでも残されたものは生きて生活を続けていかなければならない。
微力であっても協力できる事などを探しつつ、今日過ごしている時間は誰かにとっては迎えられなかった日であることを忘れないように過ごしていきたいと思いました。
次号からまた、日々のブログに戻りますが、もし万が一被害が拡大したり2次災害が広がるようなら一旦帰国もできるように身辺の準備はしておこうと思います。
最後に、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
以下、知人が送ってくれた写真。(転用許可済)
散乱した室内
突っ張り棒がズレて間一髪だったそう。
壁が崩れてコンクリートが落下。子供が家を出た直後でこれは本当に危なかったらしい。
コンビニの棚は昼で空っぽに
飲食店がほぼ閉店しているのも関係しているらしいが。
現場の知人から送られてきた写真を一部紹介しました。
くれぐれも、2次災害にお気をつけて冷静な対応お願いしたいと思います。